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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)9639号 判決 1994年10月20日

原告

小間井潤一

被告

上森広己

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、一五四四万七六五一円及びこれに対する平成二年一二月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、普通乗用自動車の運転者が運転操作を誤り、スリツプし、対向車線を走行中の普通乗用自動車に衝突し、対向車の運転者が負傷した事故に関し、右被害者が加害車両の運転者を相手に自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条、民法七〇九条に基づき、後遺障害に関する損害賠償を求め、提訴した事案である。

一  事実(証拠摘示のない事実は争いのない事実である。)

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六一年一一月三〇日午後一〇時三五分ころ

(二) 場所 京都府久世郡久御山大字森小字川端三三番地先国道一号線路上(以下「本件事故現場」ないし「本件道路」という。)

(三) 加害車 被告が保有し、かつ、運転していた普通乗用自動車(大阪五九ろ四三八四、以下「被告車」という。保有に関し、弁論の全趣旨)

(四) 被害車 原告が運転していた普通乗用自動車(泉五八ら九六九九、以下「原告車」という。)

(五) 事故態様 被告が被告車の運転操作を誤り、自車をスリツプさせ、対向車線を走行していた原告車と衝突し、原告が負傷したもの

2  示談の成立(乙一)

平成元年四月一四日、原告と被告との間に、原告を乙、被告を甲とする、要旨、次の内容の示談が成立した。

(一) 甲は、乙の治療費一四〇万三七七九円について、支払済みであることを確認する。

(二) 前項以外に、甲は乙に対し、看護費、通院費、休業補償費、慰謝料、その他一切の損害金として二二一万三九八二円を支払済みであることを確認する。

(三) 前項の金員のうち、甲は乙に対し、一一六万三九八二円を支払済みであることを確認する。

(四) 甲は乙に対し、(二)項から(三)項の金員を差し引いた残額一〇五万円を支払う。

(五) 乙に後遺障害が生じた時は、別途協議する。ただし、自賠責保険の認定等級が一四級以下の場合は協議の対象外とする。

二  争点

原告の後遺障害の内容、程度(原告の後遺障害は、前記示談の効力が及ぶ範囲外である自賠法施行令二条別表(以下「等級表」という。)一四級を超えるものであるか否か)

1  原告の主張

本件示談によれば、原告に自賠責等級第一三級以上の後遺障害が残存した時は、別途協議するとされているところ、原告には、平成二年九月二七日に症状が固定した後遺障害等級第一二級七号に該当する後遺障害が残存しており、右損害は右示談の対象外である。

原告は、平成二年九月一九日及び同月二七日、大阪赤十字病院の大庭健医師(以下「大庭医師」という。)により、膝関節の可動域は、次のとおりとされている。

(1) 他動

右 伸展 〇度 屈曲 一〇五度

左 伸展 〇度 屈曲 一五〇度

(2) 自動

右 伸展 〇度 屈曲 一〇〇度

左 伸展 〇度 屈曲 一四五度

原告は、平成五年三月における吉田医師の診断でも、可動域は、右伸展〇度・屈曲九五度、左伸展〇度・屈曲一四〇度と診断されている。

原告は、本件事故後の当初の骨接合手術の時から右膝蓋骨の大腿膝蓋骨関節面が整つていず、変形治癒の状態であつた。そのため、その後、右膝蓋骨骨硬化、右膝蓋関節裂隙の狭小化が生じ、変形関節症となつた。

なお、原告は、リハビリテーシヨンのため、自転車で通勤しているが、自転車のペダルは膝関節を一〇〇度程曲げれば十分こげるのであり、原告の膝が一二〇度ないし一三〇度曲つているとする被告の主張は理由がない。

したがつて、原告は、平成二年九月二七日、症状が固定した右膝の後遺障害が残存しており、その程度は、等級表一二級七号に該当する。

2  被告の主張

原告の損害は、次に述べる理由により、前記示談金の支払によりすべて補填済みであり、被告には賠償義務がない。

原告の右膝は、大阪赤十字病院退院後の昭和六二年三月二三日、可動域が一三五度まで回復し、同年四月七日、屈曲自動一三五度、他動一四二度と回復しており、非常に良好な経過をたどつた。昭和六二年九月二四日に、抜釘のため京都専売病院に転院時も可動域、癒合とも良好とされ、昭和六三年一月八日、同病院の松波義文医師(以下「松波医師」という。)により、症状が固定したと診断された。

その後、原告は、同医師の後遺障害診断書により、自賠責保険の認定手続において、非該当と判断されると、平成元年九月二一日、同月二七日、大阪赤十字病院において大庭医師の診断を受け、右膝関節の可動域が一〇〇度に制限されているとされた。

しかし、レントゲン上も特に変化はなく、その間、膝に支障が生じた等の申告もなかつたのに、症状固定の二年後に突如可動域が大幅に制限されるという事態は不自然、不台理である。現に、原告は、右膝に関節障害があると主張するが、実際には、毎日、自宅からJRの駅まで自転車に乗り、通勤している。その際、右膝は一二〇度ないし一三〇度曲つている。

したがつて、原告の右膝の可動域に制限があるというのは、虚偽であり、本訴請求は不当請求である。

4  時効

(補助参加人の主張)

原告の後遺障害は、昭和六三年一月八日、症状が固定していると考えられるところ、平成二年一月九日の経過により、時効が完成しているから、これを援用する。

5  その他損害額全般

(原告の主張)

原告の右膝には、後遺障害一二級七号(一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの)に該当する後遺障害が残り、次の損害が生じた。

(一) 後遺障害逸失利益 一三二七万七六五一円

4677700×20.275×0.14=13277651

(二) 後遺障害慰謝料 二一七万円

第三争点に対する判断

一  治療経過及び後遺障害の内容、程度

1  治療経過

証拠(甲二、六、九、乙二、三、六ないし一〇)によれば、本件事故後の原告の治療経過は、次のとおりと認められる。

原告は、本件事故当日、蘇生会病院に搬送され、左橈骨骨折、左手関節脱臼、顔面裂傷、右膝蓋骨骨折、右膝関節部裂傷、腰椎捻挫等との診断を受け、同年一二月九日まで同病院に入院し、右膝関節部縫合、左手関節徒手整復、顔面異物除去等の措置を受け、同日から昭和六二年二月二〇日まで大阪赤十字病院に入院し、右膝膝蓋骨骨接合術を受け、その後、大阪赤十字病院に七日、京都専売病院に二日通院し、昭和六二年一〇月五日から同月一二日まで京都専売病院に入院し、抜釘術を受け、さらに、主として後遺障害を診断してもらうため、京都専売病院に二日、大阪赤十字病院に二日通院した。

2  右膝の可動域制限の推移と医師の見解

右に関する関係証拠の要旨は、次のとおりである。

(一) 昭和六三年一月八日付け京都専売病院整形外科松波医師作成の後遺障害診断書(乙二)

右膝可動域制限あり(長時間運転不可、正座不能、和式トイレ使用不可)

右膝 伸展〇度(左膝 伸展 〇度)

右膝 屈曲自動一四〇度、他動一四五度(左膝自動・他動一五〇度)

(二) 右松波医師の証言

「昭和六二年一〇月の抜釘手術前、透視で見ると、原告の骨癒合良好であり、関節面はスムースな動きをしていた。

原告は、しやがみこむような膝の屈曲運動はできないが、洋式トイレ等の普通の生活の動き十分できる状態であつた。昭和六三年一月一四日の時点で右膝のレントゲンの関節面はきれいであり、適合性は良好であつた。この後、膝の可動域が増悪するというのは、他の疾患にかかるとかの要因がないと考えにくい。骨片は、関節内にあれば、関節を動かした時、激痛が走ることがあるが、原告からそのような訴えを受けたことはなかつた。

大阪赤十字病院時に大腿周径、下腿周径に有意(一センチメートル以上であれば有意)な左右差がある。しかし、可動域制限と直結するとはいえない(五~六センチメートルも違えば特に伸展が制限されるが)。特に、屈曲については、筋萎縮は可動域制限の原因とはなつていない。ただ、筋萎縮に伴う筋の短縮があれば屈曲についても影響を及ぼす可能性がある。原告の場合、関節周囲の癒着、関節包の硬化、靱帯と関節包の癒着が問題ではあるが、前記抜釘手術ころ、そのような状態ではなかつた。」

(三) 平成二年九月二七日付け大阪赤十字病院大庭医師作成の(京都専売病院当時の主治医、上記後遺障害診断書作成)後遺障害診断書(甲二)

左手関節運動制限、右膝関節屈曲制限、正座不能

(単位センチないし度)

(四) 右大庭医師の証言

「右膝屈曲度が悪化しているが、運動療法の不適切ないし不足のため拘縮が強くなつたと推測されるし、また、骨片も運動制限の原因となり得る。大腿周径、下腿周径に左右差があるが、これは筋拘縮(萎縮)があると解釈される中程度の異常である。

可動域が時をおうにつれ増悪するのは、骨折が十分癒合せず、変形を残したまま治るとか、周囲の軟部組織の拘縮(瘢痕組織)が強くなることが考えられる。」

(五) 長吉総合病院医師吉田昌司(以下「吉田医師」という。)の回答(甲九)

平成五年三月二五日における右膝の可動域は、次のとおりである。

(単位センチメートルないし度)

昭和六二年四月の手術後のレントゲン写真にて遊離骨片が存在、右膝蓋骨の大腿膝蓋骨関節面の不整・骨硬化像、右大腿膝蓋関節裂隙の狭小化、全体として変形性関節症変化が認められる。

初期から右膝蓋骨は変形治癒しており、経年的変化が加わり、増悪して変形性関節症を呈したものと考えられる。

右手関節についても、当初から若干の変形治癒が認められる。受傷時の内容からみて、運動制限を中心として何らかの後遺障害を残遺する可能性は十分あつたと考えられる。

(六) 右吉田昌司の証言

「上記測定値は自動の値だが、嘘をついて動かさないということも有り得るので、実際の計測では、他動の場合と比較しながら自動値として妥当と考えられる数値を記載している。

大腿周径の左右差は筋萎縮、つまり、痛いからかばつて使わないことによる筋肉の弱化と考える。

受傷直後の手術後のレントゲン写真によると、〇・五ないし一ミリメートル位の不整(ずれ)が認められる。レントゲンに写らない軟骨の脱落があつた可能性もある。

受傷により直接生じたのは、遊離骨片と関節面の不整である。その後の経年的変化により、変形性関節症となり、その現れとして、骨硬化像、関節裂隙の狭小化が生じたと考えられる。上記程度の関節面の不整でも、膝の屈伸により膝の皿は天文学的回数動くのであり、何年もその状態が続けば軟骨が痛み、関節裂隙の狭小化が生じ、そして、同時に軟骨が傷むと骨の構造が変り(軟骨は再生しない)、骨硬化像が現れたと考えられる。」

(七) 東京海上メデイカルサービス株式会社医療部長佐藤雅史医師(以下「佐藤医師」という。)作成の意見書(乙一〇、一二)

「原告の関節包内には明らかな癒着が認められない。右膝関節付近に見られる骨片は、関節内に突出したものではなく、関節腔の外側にあり、体表に近い部分の内側部が剥離したものと考えられる。

関節裂隙の軽度の狭小以外の骨棘形成や骨硬化像、骨嚢腫は認められず、昭和六三年一月一四日、平成二年九月一九日の各レントゲン写真と平成五年四月一日のレントゲン写真(側面像)とを比較しても、明らかな変形性関節症の進行は認められない。平成五年四月一日のスカイラインビユー(膝蓋骨軸)で、関節裂隙の狭小化が進行しているように見えるレントゲン写真があるが、撮影時の膝屈曲角度の違いによりこのように見えるのではないかと思われる。

膝蓋骨骨折は、ほとんどの場合、関節内骨折となり、軟骨面の断裂が起こるので、骨折を治癒しても関節軟骨が一〇〇パーセント元どおりにはならない。軟骨関節面の連続性が破綻し、変形性関節症が発生することはある程度仕方がないことである。しかし、本件に右膝は、軽度の関節裂隙の挟小以外に特段の所見を認めず、変形性関節症としてもごく軽症のものしかなく、経時的進行はほとんどないと考えて良い。」

3  右膝の可動域制限に関する原告の申立・供述

後掲の各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、平成二年一〇月ころ、補助参加人に対し、自賠責の認定についての異議申立てをしたが、その内容は、要旨、次のとおりであつた(甲四)。

「原告は、右膝蓋骨骨折の外傷により、右膝関節の運動にかなりの障害を残し、日常生活における歩行障害はもとより、自動車の長時間運転、自転車使用不可、正座不可、和式トイレの使用不可等、日常生活に著しい支障をこうむつている。原告の右膝の可動域は一〇〇度であり、左膝と比較し、四分の三以下に制限されているから、等級一二級七号に該当する。」

(2) 当法廷での原告の供述(原告一回目、平成三年四月一五日)

「本件事故で主に右膝を負傷した。右膝のさらが割れたので、切開して針金で止める手術をした。京都専売病院の診断書には、針金を抜いた時に治癒したと書いてあるが、傷は完治したものの、膝を曲げる角度はそのままで完全には治つていなかつた。同診断書には、後遺障害がないと記載されているが、この点については、何も聞いていない。膝が曲らない状態は依然として続いている。

後遺障害のために、和式トイレが使えない、正座ができない、歩き過ぎると痛くなつて足を引きずるようになる、車にも長時間乗れない等、生活・仕事に様々な支障が出ている。

本件事故当時の勤務先であるナカバヤシ株式会社では、車で外回り営業の仕事をしていた。午前八時から午後七時ころまで、一日一〇ないし一一時間働き、給料は手取りで約一八万円であつた。本件事故後、約三か月間同社を休み、昭和六二年三月から出勤し、外回りの営業の部署に勤務したが、勤務時間及び給料は変わらなかつた。同社は、平成二年一月で辞め、同年二月から、昭光通商株式会社に勤務し、営業の仕事をしている。ナカバヤシ株式会社を辞めたのは、同社が自分に合つていなかつたためだが、仕事がきつかつたためであることも少し関係がある。同社から辞めてくれと言われたことはない。

昭光通商株式会社では、歩くことが多くなり、一日に多くて約三キロメートル、約一時間半歩いている。リハビリテーシヨンの代わりに、歩くことは良いことだと考えているが、歩き過ぎると膝が痛くなることがあり、膝が悪化したのは歩き過ぎのためではないかと考えている。」

(3) 原告の通勤状況に関する調査結果(乙一四、脇阪、検乙五の1、2)

原告の通勤状況に関する株式会社ベスト保険リサーチに勤務する脇阪道雄の調査結果は、要旨、次のとおりであつた。

「原告は、自宅からJRの駅までの区間約一・六キロメートルを自転車で通勤しているが、ペダルを踏む様子は極めて滑らかであり、上り坂を含め、速度、足の回転とも、健常者と変わらない。自転車運転時の右膝関節は、一三〇度程屈曲しており、屈曲制限があるとは考え難い。

なお、同人が撮影した原告の自転車での走行状況中、平成六年七月一一日のものは、左手にごみ袋を下げ、右手のみでハンドル操作をし、同年九月九日のもの(後方から撮影)は、右膝のふくらはぎ上部と同大腿部下部とがほぼ密着していた。」

(4) 原告の当法廷での供述(原告二回目、平成六年九月二〇日)

「現在、和式トイレが使用できず、歩き過ぎると足が痛くなり足を引きずるようになり、車にも長時間乗れないという状態が継続しているが、座席を高くした自転車になら乗れる。異議申立書には自転車使用不可と記載されているとのことだが、今まで自転車に乗れないと言つたことはない。ただ、自転車に乗つた時、痛みがあるので無理に乗りはしないと言つたことがある。自宅から駅まで自転車で通勤し出したのは、平成六年五月からであり、それ以前は、約一・六キロメートルの距離を約一七分で歩いて通つていた。自動車には、約二時間乗ると、足がだるくなる。また、約二キロメートル歩くと、足が痛くなり、引きずるようになる。

現在、月収約二八万円、年収約四八〇万円である。」

4  当裁判所の判断

(一) 以上によれば、原告は、昭和六一年一一月三〇日の本件事故以降昭和六二年二月二〇日まで、蘇生会病院、大阪赤十字病院に入院したこと、退院後、月一回程度通院したのみであり、同年三月からナカバヤシ株式会社に復帰し、外回りの営業の仕事を再開し、午前八時から午後七時ころまで、一日一〇ないし一一時間働き、給料の減収もなかつたこと、同年一〇月五日から同月一二日まで、京都専売病院に入院し、抜釘術を受けたが、その際、原告の骨癒合は良好であり、関節面は滑らかな動きをしていたこと、昭和六三年一月一四日における右膝のレントゲンの関節面はきれいであり、適合性は良好であつたこと、その後、(補助参加人に対する異議申立ての直前である)平成二年九月二七日及び平成五年三月二五日における大庭医師、吉田医師による測定では、右膝関節の可動域が著しく狭くなつていること、関節裂隙の狭小化が進行しているかのようなレントゲン写真があるが、撮影時の膝屈曲角度の相違によりそのように見えるにすぎないとの指摘があり、読影結果の評価につき医師の間で見解が分れていること、昭和六二年二月から、昭光通商株式会社に勤務し、営業の仕事をしているが、同社では、本件事故前より歩くことが多くなり、一日に多くて約三キロメートル、約一時間半ないし二時間歩いていること、原告は、自宅からJR駅まで約一・六キロメートルの距離を徒歩で通つていたが、平成六年五月からは自転車を使用していること、右自転車使用の際、原告の右膝は、一三〇度程度屈曲していること、原告は、本件事故当時の月収は、約一八万円であつたが、現在は、月収約二八万円、年収約四八〇万円であり、かえつて増加していることが認められる。

(二) 右のうち、補助参加人に対する異議申立ての直前である平成二年九月二七日及び平成五年三月二五日における大庭医師、吉田医師による測定結果は、右膝関節の可動域が著しく狭くなつており、原告主張にそうものとなつている。しかし、本件事故から約四年近く経過した後、それまで比較的良好であつた関節の可動域が突如として増悪することはまれであるから、右増悪の原因として、医学的証拠に基づき、合理的に説明できる根拠の有無が問題となる。

(1) これに関し、前記吉田医師は、本件事故により、関節面の不整が生じ、その後の経年的変化により、変形性関節症となり、骨硬化像、関節裂隙の狭小化が生じたと考えられるとしている。

しかし、関節面の不整があつたとしても、その程度は事案により異なるところ、現実に抜釘術を施した松波医師によれば、関節面の不整がほとんど認められなかつたというのであるから、客観的根拠が十分ではない。また、原告が比較的程度の重い変形性関節症となつているとみるのは、本件事故後、原告が職務内容を自動車による営業業務から歩行による営業業務に変えており、前記可動域に関する計測結果の増悪後も、歩行による営業を続け、膝関節を十分に曲げざるを得ない自転車の使用すらし始めている等の事実に照らし疑問がある。なお、同医師は、関節裂隙の狭小化が進行しているとするが、佐藤医師等は、レントゲン撮影時の膝屈曲角度の相違によりそのように見えるにすぎないとの意見を述べており、狭小化が進行していることが明らかとはいえない。

(2) また、前記大庭医師は、右膝の屈曲度の悪化は、運動療法の不適切ないし不足のため拘縮が強くなつたためと推測されるし、また、骨片も運動制限の原因となり得るとしている。

しかし、前者は、筋拘縮が強くなれば、大腿周径、下腿周径に左右差が生ずるところ、本件における左右差は、各二・四センチメートル、一・四センチメートルにすぎない。かかる程度の差で可動域制限が直ちに生ずるかは疑問であり、前記松波医師は、原告には、筋拘縮等(関節周囲の癒着、関節包の硬化、靱帯と関節包の癒着)が認められなかつたとしていることに照らすと、前記右膝の可動域の著しい制限の根拠となるとは考え難い。

また、後者は、そもそも同骨片が関節内に存するか自体、医師の間で見解が分れているばかりでなく、仮に骨片が原因となつて可動域制限が生じているのであれば、耐え難い程の激痛のため、歩行自体が不可能となる(もつとも、骨片を除去すれば、右激痛も消失する)と考えられる。しかし、前記原告の歩行、自転車使用状況に照らすと、骨片が可動域制限の原因となつているとは到底解し難い。

(3) しかも、前記のとおり、原告は、本件事故により右膝に傷害を負つたものの、同事故から三か月後からは職場に復帰し、従前同様の外回りの営業の仕事が可能であつたのであり、その後の通院も月一回程度であつて、やがて抜釘術を受けた際も、関節面はきれいで、かつ、適合しており、関節可動域もさほどの制限が認められなかつたが、自賠責保険に関し、異議申立てをする直前の平成二年九月に受けた検査及びその後の検査において、可動域にかなりの制限が生じたのであり、右増悪時、原告は、本件事故前より歩行の度合いが多い職場に勤務し、かえつて収入は増加しているのであるから、右平成二年九月以降、突如として右膝の可動域が増悪したとの検査結果は、極めて不自然であつて、同時期が自賠責保険に関する異議申立ての時期の直前であることを考慮すると、右検査結果が真実値を示しているとは到底認め難い。

(三) したがつて、自賠責保険に関し、異議申立てをする直前の平成二年九月に受けた大庭医師による検査時及びその後の吉田医師による検査時の数値は、いずれも信用できず、前記原告の右膝の可動域が著しく増悪したとする原告の主張は採用できないから、その余の点を判断するまでもなく(なお、補助参加人は、原告の後遺障害は、昭和六三年一月八日に症状か固定したこと、時効期間は二年であることを前提に、時効を援用すると主張するが、本件は、被害者である原告が加害車両の運転者である被告を相手に自賠法三条、民法七〇九条に基づき、後遺障害に関する損害賠償を求めた事案であるから、同法七二四条により、その時効期間は三年となる。したがつて、仮に症状固定時が右主張のとおりとしても、時効完成前に本訴が提起されていることは記録上明らかであるから、同主張は採用できない。)、本訴請求は理由がない。

二  結論

以上の次第で、本訴請求は理由がないから棄却し、訴訟費用(補助参加人に生じた費用を含む。)は原告の負担とすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 大沼洋一)

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